変わらない 愛の存在

もう本当に自己満足でしかないので殴り書きです。でも、今しか残せないかもと思ったので書きました。もし読んでる人の中で、「あ、あいつかも」って思い当たる人が浮かんだとしても、心の中に留めておいていただけると助かります。

先日、いわゆる学科総代なるものに選ばれ数年ぶりに壇上に上がる経験をしました。それでふと思い出したんです。初めて夢中になったアイドルのこと。

 

小学4年生の頃通っていた塾で「誰推し?」と聞かれて「たかみな」って答えたのが始まりでした。RIVER冒頭であんなに「AKB〜!」と叫んでいるのに、なぜかSPEEDの曲だと勘違いしていたほどエンタメに疎かったわたしは、親のパソコンを借りて見ていたヘビーローテーションのPVの真ん中で踊る子を「この子がたかみなだ!」と確信し、そう答えていたようです。

そんな大きな間違いのおかげでAKB48を知ったわたしは、ヘビロテのセンターが大島優子とわかった後も、高橋みなみという人に惚れてしまいました。彼女は身長148cmの小さな巨人と呼ばれていても、当時130cm台だったわたしには大きく見えて、憧れの人でした。だからこっそり、上手くいかなくて悩む夜があると寝る前にいつも唱えていました。「たかみなだったら、なんて言うかなあ」って。「努力は必ず報われるって、言ってくれるかなあ」って。

 

とある春、彼女はAKB48から卒業し、アイドルではなくなりました。わたしも大人になり、心の中で問いかける夜は無くなりました。かわりに、バイトでお小遣いを貯めてアイドルに会いに行けるようになりました。あの頃親にAKB48が好きだと言い出せなくて見られなかったコンサートも卒業公演も、自分のお金で見られるようになりました。その一方で、いつしかテレビの中で眩しく、かっこよく、可愛らしく輝いていた彼女に会いに行く機会を待つよりも、すぐ会えるアイドルに会うことに夢中になっていました。

そんなこんなで学生生活を謳歌していたある日突然メールが舞い込んできました。そう、冒頭の話です。

「証書授与の代表をやってほしい」

びっくりして、嬉しくて、舞い上がっちゃって。教授に「これ、何人断ってわたしに回ってきたんですか?」って確認したら「代表選ばれて拒否する人見たことないです、何言ってるんですか?」ってキレられたので、「あ、わたしマジなんだ...」ってなって。その時頭にふと浮かんだ言葉が、あの頃大好きだった彼女が常に口にしていた言葉でした。

「努力は必ず報われる」

わたしは大学が好きだったので、これは彼女が言っていた"努力"ではなく、幼い子が簡単に電車の名前や魚の名前を暗唱するような、「好きだから苦痛にならないこと」だったのかもしれない。もしかすると、これをやることでくらいしか、わたしは大学で居場所が見つけられなかったのかもしれない。

でも振り返ってみれば、テストの前夜はいつも教授が夢に出てきて魘されたり、途中でうっかり精神科にお世話になってしまったり、オンライン併用になってぜんっぜん人がいなくなった教室に意地で通い続けたり............。

もちろん、バイトを半年でやめたり、サークルをサボりまくったりと全然よろしくない行いもあったのですが、ただ好きなだけでは多分乗り越えられなかったこともあって、「ちゃんと頑張ってたのかもな」と気づけたわけです。そこでふと思いました。「努力は必ず報われる」とは、「振り返った時に『あの日の努力があるから大丈夫』と自信が持てること」なのかもしれない、と。

思えば就活中、キラキラした学生時代の経験を語る猛者たちの中で、「でもわたしはあれだけ頑張れたんだから大丈夫」とあるようでない根拠にだいぶ励まされていました。インターンでも「社会に出たら答えのない問ばかりだから」と微笑む社員に心の中で「レポートだって答えないけどな?????」とこっそり楯突くくらいの強気でいられました。だからきっとあの時に、わたしの努力は実を結んでいたのだと思います。

 

この話を,わたしのことなんてぜんっっっぜん知らないはずなのに、伝えたくて仕方なくなった相手が高橋みなみさんでした。アイドルって不思議だなあ!絶対相手はわたしのことを知らないのに、伝えたくなるんだもん!アイドルってもしかしたらそんなふうに、勝手に憧れて、勝手にいろんな報告をしたくなっちゃう存在なのかもしれません。あれ、わたしの自慢話()のはずがアイドルの概念の話になってしまいました......ハハ。

あの幼き日に高橋みなみさんに出会わなかったら、今もなおAKB48のファンでいることはないし、千葉恵里ちゃんに出会うことも、勝手に考えたAKBの衣装モチーフのスマホケースデザインにオサレカンパニーと茅野しのぶさんからいいねをもらうこともなかったはずです。もっと言えば、わたしは「たかみなが出演している!」という理由だけで新堂本兄弟を見ていた中学生だったので、おそらく急に思い立ってKinKi Kidsのコンサートのチケットをとり、クリスマスイブを費やすなんてことしなかったでしょう。そして何より、今いろんな思いを噛み締めながら社会人になることにはなってないはずです。

もし今も、あの日のようにラジオをしていたら、きっとメールを送っていたでしょう。でも、送れないからブログで勝手に書いて終わりにしたいと思います。

高橋みなみさん、たくさんの出会いと気づきを下さってありがとうございます。これからもずっと、わたしのアイドルです。